スティーブ・ジョブズは、ナイキの商品は機能面だけみれば、他のスニーカーと大して差がないコモディティなのだと述べている。
しかし、それでも多くの人がナイキに対して喜んでお金を払うのは、ナイキがアスリートのような鍛えられた肉体を手に入れたら、自身の人生が大きく変わるというストーリーを提供し、多くの人がそれを本気で信じているからなのだろう。
アパレル業界で時価総額世界一のユニクロの製品は、中国の工場で大量生産された「超コモディティ」。
アップル製品も細かく原価を見ていくと、部品や組み立てといったコストは全てコモディティ化していて、薄利多売の構造が見て取れます。

それでも私たちがユニクロやアップルの製品を買うのは、これらのブランドが「なりたい自分になる」という自己実現欲求を強烈に刺激しているからなのでしょう。
実際、世界のスマホのOSのシェアはアップルが25%、グーグルのアンドロイドが74%と、グーグルの方が3倍も高いシェアを持っているのに、企業の時価総額はアップルの方が高くなっています。
ある意味、現代では商品やサービスに関わらず、様々なものがコモディティ化されている。
グーグル検索によって、知識や情報がコモディティ化され、SNSによって人間関係自体が薄まりコモディティ化されていきました。
そして、何よりAIの登場によって、人間の存在そのものがコモディティ化しつつあり、コモディティ化された人材は、徹底的に買い叩かれるのが資本主義の原理なのだと言えます。

「僕は君たちに武器を配りたい」の著者で、エンジェル投資家、経営コンサルタントでもあった瀧本哲史氏は、学歴や資格など「努力が報われること」は、今後必ずコモディティ化していくのだと言います。(1)
つまり、僕たち人間が脱コモディティ化をするためには「努力が報われるかどうかわからないこと」をやっていかなければならないのだろう。
生成AIが普及し、AIが人間以上に良い文章や音楽を作れるようになってくると、作品の質以上に、その人の存在感というものが何倍も重要になっていくる。

自分の子供が描いた絵に親が感動するように、恐らくこれからは、質よりも、誰がどうゆう状況でそれを作ったかという「作家性」の部分が大切になってくるのでしょう。(2)
努力がコモディティ化していく時代は、正しさよりも面白さやキャラクターを重視し、非合理を追求して、本当の意味での個性を宿らせる必要があるのかもしれない。
 
        
           
 
                    