いまやSNSからテレビ、雑誌やポットキャストなど、様々な「メディア」が存在しますが、ある意味、人と人との対話こそが、現代の最高の「メディア」なのだと言えるのかもしれない。
しかし、いつからか対話は時間を浪費する非効率なものと考えられるようになってしまいました。
ZOOMやチャットでのやり取りがデフォルトの現代において、対話を通じて、わざわざ人間関係を築くのは馬鹿馬鹿しく思えるのかもしれません。

対面でのやりとりは非効率ものだと考えられている。
ビル・ゲイツと共にマイクロソフトの創業期に関わった西 和彦氏はチャットやZOOMがどれだけ一般的になったとしても、人を動かす最も重要な情報は必ず「人」を介して伝えられると述べています。(1)
そう言った意味では、ZOOMゾンビではなく、対面でどれだけ「生きた対話」ができているかが、その人の将来の市場価値なのだと言えるのかもしれいない。
もちろん、オンラインでのやり取りが便利なのは間違いありません。
チョコレートはたまに食べる分には健康に何の問題もありませんが、すべての食事がチョコレートになってしまえば、間違いなく身体を破壊していく。(2)
これは、ZOOMやチャットも同じことなのでしょう。
英語、ダイエット、資格習得、そして、起業などが成功するかどうかは、「求める結果」をどれだけ明確な言葉で、他人に語れるかにかかっています。

「求める結果」をどれだけ他人に語れるか。
海外では、ビジネス世界でも、政治の世界でも、何か物事を実現させていく際には、◯◯を◯◯までに実現することをdeclare(宣言した)という単語がメディアなどでよく使われる。
対面での「生きた対話」は、未来の自分に対して、何かをdeclareし、自分の行動力を促進させるものになっていく。
脳科学者の川島隆太氏の研究によれば、オンラインでのコミニケーションは、脳にとっては、コミニケーションになっておらず、何もしていない時と同じ状態なのだと言う。
また、スマホに依存している学生の脳を調べると、すでに老化のサインが確認されたのだと言います。

オンラインではコミニケーションになっていない。
人類史上、物事を最も深く考えた哲学者のソクラテスは、生涯にわたって自身の書籍を一冊も残しませんでした。
ソクラテスは、文字にされてしまった言葉は既に「死んだ会話」だと捉えていたのです。
会話による生きている言葉は、リズム、抑揚、そして、その場での反論が入り混じりっているからこそ、本当の意味でのその人の血肉になっていく。
対話とdeclare(宣言)の繰り返しが、本当の意味で、その人の内面を濃くしてくのだろう。
 
        
           
 
                    